一人ぼっちのタッピングギター独習記

タッピング奏法という魔物とそれに賭けた悪戦苦闘の日々

トンネルの先には何があるのか?その1

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自宅にて

 

 1998年、僕は札幌で、 全ての商売を閉じて、もう何も無くなったと思った。

何より、生きる気力が無くなった。

 僕は1958年生まれ。当時40歳。

 

やっていた商売はというと、

キューバーダイビングのプロショップ

ススキノにスナック1件

北海道の某スキーリゾートホテルにオリジナルTシャツの卸し

 

バブル崩壊の煽りと、自身の実力の無さによって全滅。

 

1番力を入れていたスキューバーショップの機材も全て処分して

妹のマンションの1室を間借り(居候)。

今で言うミニマリストに結構近いかも。

 

しばらくは何もやる気が起きず、ずっと引きこもっていた。

大体目が覚めても、する事が無い。

いや、本当はある。職探しだ。

でもやらない。

何もしないから、眠くもならない。

窓からずっと、丁度眼下にある交差点の信号機を見ていた。

 

青、黄、赤、青、黄、赤・・・。

車が来る、止まる、発車する、また来る、人はほとんどいない。

深夜だから・・・。

 

窓から見える他の建築物の明かりや街路灯。

札幌といっても、其処からの深夜の風景は、カラフルな色彩は信号機以外何も無かった。

 

青、黄、赤・・・。

 

やがて、また朝が来る

 

頭に浮かぶ言葉はいつも同じ。

「落ちぶれた。」

 

・・・・つづく。