一人ぼっちのタッピングギター独習記

タッピング奏法という魔物とそれに賭けた悪戦苦闘の日々

トンネルの先には何があるのか?その2

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自宅にて

・・・つづき。

 1ヶ月を過ぎたある日、岩見沢の実家から父親が訪ねて来た。

妹は、僕がずっと何もせず住み着いていることに、迷惑しているが、言い出せないでいるらしい。

 とりあえず、このままではもう居られないので、派遣会社に登録をしに行った。

 

すると、1週間ほどして、浜松市の工場で働けますかと問い合わせがあったので、行くことにした。

 

派遣会社からは飛行機の切符を頂き、住むアパート(2人共同)、

テレビ、布団、コタツ、冷蔵庫等家電品、ガスコンロ、鍋、フライパン等調理器具、食器。通勤と私用に使える自転車(ママチャリ)1台。

そういったものが与えられた。

 

給料は1日8000円。残業をすれば、それに順ずる。

工場は日額15000円を派遣会社に払っていて、差額はピンハネ

いや、派遣会社の正当な利益。

日給10000円の人もいる。派遣会社が取り分を減らして募集をかけた場合。

同じ仕事をしても、どの派遣会社かによって給料が変わってしまうのだ。

 

でも、まあそんなことはどうでも良い。

 

僕は毎日朝8時から夕方5時まで(残業のある日はもっと長く)、ホンダバイクのクラッチの部品らしい鉄パイプを切ったり、穴を開けたり、検品したり、運んだり。

休憩は午前5分、昼1時間、午後10分の、計1時間15分。

油の独特の異臭の中、工場内に空調は無く、外気よりもさらに夏は暑く、冬は寒い。

 

働きながら、抜け殻のような日々を過ごした。

北海道で、様々な縁があって、商売をして、寝る間も無い程ふらふらになって、でも日々充実していた時の自分がうらやましく思った。

 

知らなかったが、浜松市ヤマハ等の会社があって、楽器の町らしく、音楽の催しが結構頻繁にある。

たまたま休みの日に、自転車に乗ってプラーっと駅の方へ出かけたら、外に臨時のステージがあって、誰かがピアソラをヴァイオリンで演奏していた。

僕は正直その時ピアソラを知らなかったけど、背中がザワザワとするほど

そのメロディーが身体に染み込んで来た。

「リベル・タンゴ」だった。

音楽なんて、忙しくて何年も聴いていなかった・・・。

 

実はミニマリストに近い僕の最後に残った財産の中で、ギターだけは捨てずに持って来ていたのだ。

スタインバーガー初期のGL-2(アームの無いタイプ)。

40万円以上した(今現在は、もう売ってしまって無いけど)。

 

毎日毎日、鉄パイプを切って、穴を開けて、測って、運んで。

ご飯を食べて、テレビを見て、寝て、起きて、鉄パイプを切って。

 

思い出の品みたいな気持ちでギターを1本だけ持ってきたけど、

もう、CもAmも全然押さえられない。

完全に指が忘れてしまっている。

 

もう1度ギターやろうか?

しばらーく悩んだ。

悩んでる間にやれよって言うかもしれないけどそうも行かない。

 

今からやってプロになれるだろうかと、真剣に考えていたのだ。

40歳のスタート。

みんなが知ってるこんな曲弾けましたーみたいなのはごめんだ。

テクニックを完成させられるだけの時間が、残りの人生にあるのか?

 

また、こうも考えた。

世の中に上手い人は限りなくいる。

とてつもなく限りなくいる。

若くてもむちゃくちゃ上手い。

それでもプロになれない人がまた限りなくいる。

 

でも、考えて、こんな考えに行き着いた。

僕は無謀にも今からギターを再スタートして、何者にもなれないかも知れないけど、やるからには自分がいい曲だなあと思える曲を作って、それを他のギタリストがあまりやらない、完全タッピング奏法で、ソロで弾いて、それで食えなくても誰かに聴いてもらう場があったら、それで十分満足できるんじゃないか、と。

 

つづく・・・